早まって伝えてしまった両親や旦那家族、それに親友などへ今回の状況報告も一通り終え、少し心が落ち着きました。
妊娠報告の時は誰もが祝ってくれましたが、今回の報告は誰もが言葉を選びながら同情してくれました。
どういう言葉をかけて貰いたかったのか自分でも良く分かりません。
「あー初期流産ね、あるあるwww」
と笑い飛ばしてほしかったのか、
「そっか、残念だったね・・・」
と一緒に悲しんで欲しかったのか。
多分、なんだって良かったんです。
凄く馬鹿みたいだけど、私のお腹の中に居る子の存在をなるべく多くの人の記憶に残してあげたかったのかな。忘れてしまえたら楽だろうけどそれは無理ですし、まだお腹にいるうちにいろんな人に認識してもらうことがこの先に“待っているであろう”とても悲しい事の鎮魂になるような、そんな気持ちだったのかもしれません。
2週間が経過し、旦那とクリニックに向かいました。
その日、旦那はずっと、寄り添ってくれました。
念のため、最後にもう一度心拍を確認し、
静かに首を振った熊先生
熊先生『では、繋留流産の手術を行います。』
静脈麻酔を打たれ、気づいたら全て終わっていました。
少し安静にしておく必要があるとのことで、意識が戻っているのに再び寝たふりをして、私は空っぽのお腹と会話していました。
「いなくなっちゃったね・・・」
涙は出ませんでした。
ただただ虚無感しかありませんでした。
帰る間際に看護師さんから、
「摘出した胎嚢、見られますか?」
と聞かれましたが・・・断りました。
翌日、水子供養に行きました。
夥しい数の小さいお地蔵さんが所せましと並んでおり、どことなく、あまり長居したくないようなお寺でした。
あまり作法も分からなかったけど、エコー写真とお花を持って手を合わせました。
術後の検査で何度かクリニックに通って子宮の回復状況などを確認してもらい、再び平穏な日常へ戻りました。
当分は性交渉禁止だけど、しばらく子供の事を考えられる状態ではなかったのでちょうどよかった。
当面、このままでいいや
・・・そう思うしかありませんでした
◆続き
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