つい数日前までのバラ色のような生活から一変、私は失意のどん底にいました。
妊娠8週~9週で心拍が確認できない、それはつまり、かなり絶望的な状況であると思います。
色んな体験談ブログなどでは8週目辺りのほとんどのケースにおいて心拍は確認できていましたし、逆に確認できなかった方は残念ながらネガティブな結果につながっていました。私が妊娠したと分かってから読み漁った数多のブログ記事(妊娠体験談)は私の統計学知識において、認めたくないほどに十分信頼に足る母集団を形成していました。
時折、産婦人科チックなサイトでは「8週目で見えなくてもまだあきらめるのは早い!」なる記事を見かけることもありましたが、私は“逆に”、そういう記事があるということはその確率の低さを物語っているように解釈する性質でした。
また希望を持つとダメだった時の感情落差も大きく、ネガティブ思考の私はこの時すでに「もうダメなんだろうな」と思っていました。
もっと我が子の生命力を信じて!と思われる人も多いかもしれませんが・・・それは私には無理でした。
加えて、凄く印象的な話ではありますが、エコーで見せてもらった胎嚢はそこそこ大きかったもののなぜか生気を感じることが出来なかったのも理由の一つです。形も少し歪というか、輪郭が少し変形していたようにも見えました。
そんな中、旦那は
旦那『結構厳しいかもだけど、まだ可能性はゼロじゃないからね。それに、万一ダメだった場合でも、ちゃんと受精するし、着床するということが分かったというだけでも喜ぶべきじゃない?だって妊娠できるってことが証明されたわけだからさ』
と、まだ希望を持っているのか、私のメンタルをリスクヘッジをしてくれているのか、励ましてくれているのか分かりづらいような言葉を度々投げかけてくれました。
旦那は私の事を本当に良く分かってくれているので、『絶対大丈夫!信じよう!』などということは決して言いません。もしダメだったときに、私が精神的に落ち込むであろうことを事前に考え、そのメンタルの変動幅を出来るだけ緩和してくれようと、絶妙に柔らかいストレスを上手くかけてくれるような、そんなタイプです。
時には現実を、時には理想を。考え方は違えど(オカルト旦那と理系主婦)、その奥底で私への気遣いや優しさに満ち溢れる、そんな旦那だから、掛けてくれる言葉にはとても救われました。
そしてーーー
失意の2週間は風のように過ぎ去り、
また同じようにクリニックに向かい、
長時間待たされたあげくの診察では
やはり心拍は確認できず
そしてとうとう熊先生から、
熊先生『10週~11週で心拍が確認できない、となると・・・。うーん・・・厳しいですね。』
と言われてしまいました。
・・・覚悟はしていました。
厳しいのも分かっていました。
嫌な予感もしていたし、確率的には極めて低いことも分かっていた。
熊先生からそう告げられたときにも「そうですか」ときちんと答えることが出来た。
でも、やっぱり凄くショックでした。
淡い期待はまだ、心の奥底にあったから。
熊先生『来週、改めて最後の確認はしますが、そこでもし心拍が確認できなければ繋留流産の処置をするかどうか・・・どうされますか?流産では自然に流れてしまうこともあります、結構血が多く出て大変な方も居られますし、処置を選ばれる方が多いですが。』
私『処置の方でお願いします』
心の準備は出来ていたので、考えずとも自然に言葉が出ました。
帰りの車中、旦那とはずっと事務的な話をしていました。
仕事はどうするかだとか、手術費用はどれくらいだとか、保険はどうなるんだろうだとか。
親にはどうやって伝えるかだとか、水子供養はどこに行くだとか。
心は決して穏やかではありませんでしたし、ショックを受けすぎるとここまで冷静になれるものかと驚くくらい、こういった話をしている時は『今、お腹にいる子供はもうダメなんだ』ということを一時的に忘れられました。
ただ、私は、そんな話をしている最中、ずっと、自然にお腹を擦っていました。
ごめんね、生んであげられなくて
◆続き
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